天台寺門宗サイトマップ
トップページに戻る
MENU ホーム > 顕教・密教・修験道
天台寺門宗とは
高祖・宗祖・高僧
歴史・年表
天台寺門宗の教え
顕教・密教・修験道
お経と声明
回向と供養
連載
山家正統学則の紹介
活動報告
お知らせ
出版刊行物
著者紹介
主張と組織
諸書式ダウンロード

顕教・密教・修験道

顕 教

1.顕教(止観業)とは・・・

顕教とは、文字で明らかに説き示された「顕れた教え」のことを意味します。
すべての教えを顕教と密教の二種に分類し、密教に対する教えのことをいいます。 これは、永遠の仏が直接に絶対的な真理を垂示するのではなく、衆生を教化するためにお釈迦様として現世に姿を顕された仏が、教えを聞く相手の能力に応じて説かれた教え、一般には法華経や華厳経、阿弥陀如来の教えである浄土経典の教理を意味してきました。しかし、天台では法華経を大日経と同じ密教の教えとし、大日如来と釈迦如来を一体と考えますので、必ずしも法華経を顕教に含めません。

ところが、もともと日本の天台では、大日経を主とする「遮那業」(密教)に対して、法華経に立脚した実践的教えである『摩訶止観』の修学を「止観業」と呼んできましたので、ここでは法華経の教理を会得し、その実践法門を修行する「止観業」のことを伝統的な了解のもとに顕教としておきます。

2.法華経と天台の教義
法華経は、大乗仏教の代表的経典「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」の漢訳で、清浄な白い蓮華(プンダリーカ)のように優れた正しい教え(サッダルマ)を説いた教典(スートラ)を意味しています。天台大師は、すべての経典のなかで法華経が最もすぐれていることを説き、天台宗を開かれました。その教えは、法華経をもとにお釈迦さまが生涯にわたって説かれた仏教の教理を体系化し、お釈迦さまの最も伝えたかった核心的な教えが法華経であることを、そこに広がるお釈迦様が到達した悟りの世界、真理を究め、この悟りへと至る実践のあり方(止観)を明らかにしたもので、その撰述された『法華玄義』、『法華文句』さらには『摩訶止観』(これらの著作を総称して「天台三大部」と称しています)において示されています。

  従って、天台宗の教義は、法華経を根本に「天台三大部」によって綱格が成り立っているのです。

3.法華経の信仰と法文歌
天台の教えが日本に伝わると法華経への信仰も広がりをみせます。ことに平清盛が、長寛2(1164)年に一門の繁栄を願って法華経を書写して厳島神社に奉納した「平家納経」は華美を極めた装飾経の圧巻といわれています。また、後白河法皇が当時の今様を編集された『梁塵秘抄』には法華経の功徳を歌った法文歌が多数おさめられています。

釈迦の月は隠れにき 慈氏の朝日はまだ遥かなり
そのほど長夜の闇きをば 法華経のみこそ照らいたまへ

法華の御法ぞ頼もしき 生死の海は深けれど
諸経繰り読む譬ひにて 終にわれらも浮かびなん

娑婆にしばしも宿れるは 一乗聞くこそあはれなれ

うれしけれ や 人身再び受けがたし 法華経に今一度 いかでか参り会はむ

4.法華経28品法文歌(『梁塵秘抄』)
ここでは法華経の28品に従って法文歌の一部を紹介しておきます。

第1 :序品(じょほん)
法華経弘めし始めには 無数の衆生その中に
本瑞空に雲晴れて 曼荼羅曼殊の華ぞ降る

第2 :方便品(ほうべんぼん)
法華はいづれも尊きに この品聞くこそあはれなれ 尊けれ
童子の戯れ遊びまで 仏に成るとぞ説いたまふ

第3 :譬喩品(ひゆほん)
長者の門なる三つ車 羊鹿のは目も立たず
牛の車に心かけ 三界火宅を疾く出でむ

第4 :信解品(しんげほん)
長者はわが子の愛しさに 瓔珞衣を脱ぎ捨てて
異しき姿になりてこそ やうやく近づきたまひしか

第5 :薬草喩品(やくそうゆほん)
釈迦の御法はただ一つ 一味の雨にぞ似たりける
三草二木はしなじなに 花咲き実熟るぞあはれなる

第6 :授記品(じゅきほん)
四大声聞いかばかり 喜び身よりも余るらむ
われらは後世の仏ぞと 確かに聞きつる今日なれば

第7 :化城喩品(けじょうゆほん)
一乗妙法説く聞けば 五濁われらも捨てずして
結縁久しく説き述べて 仏の道にぞ入れたまふ

第8 :五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
一乗実相珠清し 衣の裏にぞ?けてける
酔ひの後にぞ悟りぬる 昔の親のうれしさに

第9 :授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
二千声聞の 仏を讚むる譬ひには 
昼は甘露の注くを見 夜は燈火照るが如

第10:法師品(ほっしほん)
法華経八巻は一部なり 二十八品いづれをも
須臾の間も聞く人の 仏に成らぬはなかりけり

第11:見宝塔品(けんほうとうほん)
法華経しばしも持つ人 十方諸仏喜びて
持戒頭陀に異ならず 仏に成ること疾しとかや

第12:提婆達多品(だいばだったほん)
達多は仏の敵なれど 仏はそれをも知らずして
慈悲の眼を開きつつ 法の道にぞ入れたまふ

第13:勧持品(かんじほん)
法華を行ふ人はみな 忍辱鎧を身に着つつ
露の命を愛せずて 蓮の上に上るべし

第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)
法華経読誦する人は 天諸童子具足せり
遊び歩くに畏れなし 獅子や王の如くなり

第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)
釈迦の御法のそのかみは さまざま見知らぬ人ぞある
地より涌きつる菩薩たち みなこれ金の色なりき

第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
娑羅林に立つ煙 上ると見しは虚目なり
釈迦は常にましまして 霊鷲山にて法ぞ説く

第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
法華経持たん人はみな 起きても臥してもこの品を
常に説き読み怠らで 塔を建てつつ拝むべし

第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
須臾の間も聞く人は 陀羅尼菩薩を友として
一つ蓮に入りてこそ 衆生教化弘むなれ

第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
釈迦の御法を聞きしより 身は澄み清き鏡にて
心覚り知ることは 昔の仏に異ならず

第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)
仏性真如は月清し 煩悩雲とぞ隔てたる
仏性遥かにただ見てぞ 礼拝久しく行ひし

第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
釈迦の誓ひぞ頼もしき われらが滅後に法華経を
常に持たむ人はみな 仏に成ること難からず

第22:嘱累品(ぞくるいほん)
一乗付嘱の儀式こそ あはれに尊きものはあれ
釈迦牟尼仏は座より下り 菩薩の頂撫でたまふ

第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
身を変へ再び生まれ来て 仏の滅期に参り会ひ
二つの臂を燃してぞ 多くの国をば照らしてし

第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
妙音菩薩の誓ひこそ かへすがへすもあはれなれ
娑婆界の衆生故 三十四までに身を分けつ

第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)(観音経)
観音深く頼むべし 弘誓の海に船浮かべ
沈める衆生引き乗せて 菩提の岸まで漕ぎ渡る

第26:陀羅尼品(だらにほん)
ゆめゆめいかにも毀るなよ 一乗法華の授持者をば
薬王勇施多聞持国十羅刹の 陀羅尼を説いてぞ護るなる

第27:妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)
戯れ遊びの中にしも さきらに学びん人をして
未来の罪を尽くすまで 法華に縁をば結ばせん

第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)
法華経娑婆に弘むるは 普賢薩?の力なり
読む人その文忘るれば ともに誦して覚るらん

参考文献
ページトップへ

密 教

1.密教とは・・・
密教とは、秘密仏教の略称。一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を説くのに対し、宇宙の真理を仏格化した法身大日如来が直接行った説法である密教は、人間の言葉や文字によっては容易に把握できない秘密の教えで、この悟りの世界は象徴によってしか表現できないとされています。そこで密教は、身口意の三密瑜伽の行法、手に印を結び、口に真言を唱え、心に本尊を観想し、行者と本尊が一体となる(即身成仏)ことによって悟りに至るとした教えです。

密教には、こうした極めて神秘主義的・象徴主義的な側面があり、真理の象徴である本尊や曼荼羅などの図像がことに重視されます。また、その修法次第も他見を許さず、師から弟子へと秘密で相承されるのを特色としています。

 

2.主な密教経典「大日経・金剛頂経・蘇悉地経」

密教の主要経典には、大日経、金剛頂経に天台で特に重視される蘇悉地経を加えた三部の大経があります。 密教の世界観には、宇宙はすべて大日如来の顕現で、胎蔵界と金剛界という二世界によって顕されます。一般には、大日如来の慈悲を表す面を胎蔵界、知徳を表す面を金剛界としています。 大日経は、「大毘盧遮那成佛神変加持経」といい、胎蔵界に関する教説の中心経典で、胎蔵界曼荼羅は大日経に基づいて描かれています。「胎蔵」とは、母親が子供を胎内で慈しみ育てるように、仏は衆生に本来具わっている悟りの本質を守り育てることを意味しています。 金剛頂経は、大日如来が自らの悟りの境地を明らかにし、悟りへの実践法を示した経典です。「金剛」とは、ダイヤモンドのように堅固な悟りの意味で、その内容を具体的に表現したのが金剛界曼荼羅です。

蘇悉地経の「蘇悉地」とは、「妙成就」と訳され、「他の真言法を修して成就しないときに、この経の根本真言を兼ねて誦持せば、まさに速やかに成就すべし」とされ、金胎両部と並ぶ第三の経典としてとくに台密において慈覚大師円仁は両部の大経に対してさらに深秘の説であるとしています。

3.密教の法儀と不動明王

伝法潅頂

密教では、教えを体得した師匠をとくに「阿闍梨」と呼び、その秘法を弟子に伝授し阿闍梨の位を継ぐ儀式を「伝法潅頂」といいます。

これは、古代インドにおける国王の即位や立太子の時に四大海の水を汲んで、頭の頂きに注ぐ儀式が取り入れられたものです。秘法が師から弟子に余すところなく伝授されることから、瓶から瓶に水が漏らさずうつされる様子に例えて「写瓶の如し」と表現しています。この阿闍梨から阿闍梨へと秘法が伝えられることを師資相承といい、これを記録したものを相承譜と称し、この法脈は、親子の血縁より深いことから「血脈譜」と称され、天台寺門宗では、智証大師を根本に現代までの師資相承を記録しています。

護摩供

密教では、現世利益を願い様々な祈祷が行われます。もっとも一般に行われる修法が「護摩」です。もとは古代インドのバラモン教で供物を火に投じて供養する祭式であるホーマからの音訳で、これが密教の修法となったものです。火は智慧の火であり、これをもって一切の煩悩や悪業を焼き尽くす利益があるとされ、多くは大日如来の教令輪身である不動明王を本尊にして、護摩壇を建立し、炉に火を点じ護摩木を燃やし、火中に五穀など供物を投じて本尊を供養することによって願主の所願を達するよう祈願します。
護摩には、旱ばつ、強風、洪水、地震、火事など災害のないことを祈る息災法、家内安全、福徳繁栄、長寿延命、縁結びを願う増益法、さらには怨霊や魔障を祓う調伏法などがあります。

天台寺門宗では、宗祖智証大師が金色不動明王(黄不動尊)を守護仏とされたことから、ことに不動明王を本尊とし、護摩修法が盛んに行われています。

参考文献
ページトップへ

修験道

1.修験道とは・・・ 「自然と人間」

修験道とは、日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教です。日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超自然的な能力「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教です。
この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る」ことから「修験者」、または山に伏して修行する姿から「山伏」と呼んでいます。
日本人には、古くから山には祖霊が籠るという「山中他界」の信仰がありますが、修験道では、山を神仏そのもの、曼荼羅の世界と観じ、山中の森羅万象を大日如来の説法であると考えています。現代は「自然に親しむ」などといわれますが、自然はいつも美しく人々を包み込むだけではありません。ときには荒々しく人命を失わせるほどの過酷な様相を顕します。自然界は、人間界とは全く異なった「異界」でもあるのです。古代の人々は、人間の論理を越えた自然の神聖な畏力に神仏の顕現を観じ、畏怖の感情を育んできました。

  現代にあっても山に登って、きれいな大気を呼吸し、身心を鍛えることは、何より大切なことです。自然と一体となること、ひたすら山に登り、自らを大自然の懐にたくし、山に生きる動物や虫、樹木や草花にいたるまで生きとし生けるものすべてが、一つの生命であることを実感することができれば、それがそのまま修験道が目指す「即身成仏」の悟りの境地に近づいたことになるのです。

2.修験道の開祖・役行者

修験道の開祖と仰がれるのが役行者(役小角)です。
役行者は、舒明天皇6(634)年、大和国茅原の里に生まれました。その生涯は、修験道の開祖にふさわしい様々な伝説に彩られています。葛城、熊野、大峰などの霊山で修行し、箕面の滝の龍穴では竜樹菩薩から秘法を授かり、葛城山(金剛山)の岩窟で孔雀明王の呪法を修め、生駒山の鬼を調伏し、前鬼、後鬼と名付け自らの家来とされました。また、各地の霊山を行脚されたと伝え、全国には役行者によって開基されたと伝える霊山が数多くあります。ことに大峰山との結びつきは深く、修験道の守護神として吉野の金峯山寺蔵王堂の秘仏・蔵王権現を感得され、大宝元(701)年6月7日、68歳のときに老母をとともに天上ヶ岳の山上より五色の雲に乗って天上に登られました。

役行者没後1100年の大遠忌を迎えた寛政11年(1799)正月25日には、三井寺長吏盈仁法親王の奏上により、光格天皇から勅書をもって「神変大菩薩」の諡号を追賜され、以来、「高祖神変大菩薩」と尊称しています。

3.天台寺門宗と本山派修験
天台寺門宗の宗祖・智証大師は、役行者神変大菩薩の足跡を慕い、承和12(845)年、32歳のときに那智の滝に一千日の参籠修行をされ、役行者の「縁起相伝」を受け、熊野から大峰山を経て吉野に至る「大峰奧駈修行」を遂げられました。ここに円密の二教に修験道を加えた天台寺門宗独自に「三道融会」の教風が確立されることになったのです。

その後、寛治4(1090)年、三井寺の増誉(1032〜1116年)が、後白河法皇の熊野御幸の先達をつとめ、熊野三山検校職に補任されたのを契機に、総本山三井寺は、熊野をはじめ全国の天台系の修験道を掌握し、「本山派」と呼ばれる一大教派の中心道場となります。中世以降ともなると天台寺門宗、本山派修験道は、真言系の当山派と二大流派を形成し、儀礼や教義、組織も大いに整備拡大され、役行者と智証大師を慕う全国の修験者たちを集め興隆をみることになります。

4.修験道の法儀と修行

大峰奧駈修行

本山派修験の最高の行儀は、役行者が修行し宗祖智証大師が練行された 大峰山での峰入り修行、ことに「奥通り」とも称し、熊野から吉野へと連なる深山幽谷を歩き通す大峰奧駈修行です。奧駈修行では、大峰の峰々伝いに「七十五靡」と呼ばれる行所があり、行者はこれらを順に拝しながら踏破します。これを修験では、行者が心身を修練し煩悩を捨て去ることを意味する「抖藪」行と称しています。もとより、山は死者の霊が集まる異界と考えられており、行者がこのに入峰することは、すなわち死者の世界に入ることを意味しており、ここで成仏への道筋をたどる「十界修行」と呼ばれる苦行である抖藪行を行うことによって、行者の心身が清まり、新たな生命となって再生し、特別な験力を授かることができるのです。
かくして大峰山は、中古以来、お釈迦さまが説法をされた霊鷲山が衆生を済度するために日本に飛んできた一乗の峰と伝承され、また、峰々には大日如来の金剛界、胎蔵界両部の諸尊が列座されていることから両部山とも称されています。修験者は、このことを「大峰一乗菩提山トハ、金胎両部ノ浄刹、無作本有ノ曼荼羅也。森々タル嶺岳ハ金剛九会ノ円壇、鬱々タル巌洞ハ胎蔵八葉ノ蓮台、山河ノ卉木ハ全ク遮那ノ直体、嶺嵐谷響ハ自ラ法身ノ説法也」と教えられてきました。

現在では、葛城山を顕教(法華経)の峰、大峰山を金胎両部の密教の峰として、現在も盛んに峰入奥駈修行が行われています。

採灯大護摩供
本来は、修験行者の峰入り修行の無事円満を祈願して行われる修法のひとつです。密教の護摩とは異なり、屋外で修法される修験道独特のものです。不動明王を本尊とし、霊地の自然の中に大きな護摩壇を組み、大護摩の聖火すなわち智慧の火が一切の煩悩や悪業を焼き尽くします。一般には参詣の人々の心願を記した護摩木が聖火に投じられますが、これは護摩の功徳によって人々の諸願が成就されるといわれるからです。

5.修験の法文歌(『梁塵秘抄』)

大峰行ふ聖こそ あはれに尊きものはあれ
法華経誦する声はして 確かの正体まだ見えず

大峰通るには 仏法修行する僧ゐたり ただ一人
若や子守は頭を撫でたまひ 八大童子は身を護る

聖の好むもの 木の節鹿角鹿の皮
蓑笠錫杖木欒子 火打笥岩屋の苔の衣

聖の住所はどこどこぞ 箕面よ勝尾よ 播磨なる書写の山
出雲の鰐淵や 日の御崎 南は熊野の那智とかや

6.役行者和讃

参考文献

ページトップへ


copyright