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星宮智光

本宗の課題としての祈祷仏教の振興


本宗の課題としての祈祷仏教の振興

天台寺門宗は、宗祖智証大師いらい円密禅戒の四宗兼学を宗旨としております。また特徴をとって顕密修験三道鼎立ともいいます。円宗というのは法華経を主依の経典としております。禅宗というのは一般に日本では達磨禅の系統を指していますが、禅宗には他にもいろいろの法流があり、天台の座禅止観もその有力な一つです。法華経にもとづく座禅止観これを禅宗ということもできるわけです。円密禅戒というときの禅宗というのは、法華経にもとづく天台座禅止観を含むものと考えられますから、円宗と禅宗とは同じものの理論と実践の両側面ということがいえます。つまり法華経による教えと修行です。

密宗というのは、大日経を主依とする真言密教の宗旨です。これは秘密経ともいわれ円禅両宗が顕教といわれるのにたいして、密教といわれます。

第四の戒律ですが、これは仏教生活の規範をしめすものですが、釈尊いらい二百五十戒がさだめられています。しかし、これは小乗の具足戒といわれ伝教大師最澄によって厳しく排除されました。伝教大師はあらためて梵網経による円頓菩薩戒をもって天台宗の戒律としましたが、寺門宗もまたこの円頓戒を教団生活の規範としております。戒律は教団生活の規範であり、修行生活の前方便であって、教義の直接の内容ではありません。

円密禅戒の四宗は、これを教義の直接的な内容からいうと、円禅両宗の顕教と密教との両教にまとめられ、さらにこれら顕教は一致同体であるとされます。すなわち天台寺門宗は顕密一致の宗旨となります。わが教団生活を支える規範は円頓戒です。

しかし、これだけですと、天台宗(山門派)とあまり差異がありませんが、寺門宗の場合はこれに修験道が加わります。これが天台宗にはみられない一つの特徴となっています。

修験道というのは日本古来の山岳信仰に仏教とくに密教が習合して成立したもので、きわめて日本的な仏教です。高祖は役行者(神変大菩薩)とされますが、宗祖智証大師が熊野三山を抖○し、また平安後期には増譽阿闍梨が白河帝の熊野詣での先達をつとめてからは大峰・熊野の修験道は天台的色彩を濃くします中世以降、修験道は三井寺・聖護院を中心とした本山派と真言宗醍醐寺を根拠とする当山派との二大勢力に分かれますがこうした勢力分布は幕末までつづきます。

このようにみてくると、天台寺門宗の法門を特徴的に表現するとすれば、顕密修験三道鼎立、あるいは三道一致ということばがもっともふさわしいと思います。

本宗の地方寺院・教会の多くは、修験道の法流をくんでおり、祈祷法要をもって主な活動としております。修験道の祈祷法や秘法を伝えた「折紙」を集成した文献などをみると、病気治療の祈祷から雨請い、さらには家相判断・命名などにいたるまで、人びとのあらゆる生活の悩みの解決に対応していたことがわかります。

明治初年、過激な神道思想に傾いた明治政府は神仏分離の暴挙を行い、また神仏融合の修験道を迷信邪教として国家権力をもって強制的に廃止しました。多くの修験者が還俗したり神主に転んでゆきました。日本伝統の仏教である修験道は大きな打撃をうけ、修験僧たちも自信を失いかけ、祈祷活動もやや退転気味となりました。

しかし、修験道は民衆の精神生活に深く浸透していましたから、民衆の熱い要請によって一部の篤信修験者は従来通りの修験活動をつづけてきました。こうして現在にも修験寺院は存続しているわけです。苦難のなかでの修験寺院の存続は民衆のつよい精神的要請によるものであり、その法流につらなるわれわれはこのことを深く肝に銘じるべきでしょう。

今日の日本仏教の特徴は葬式仏教であるといわれております。死者供養は江戸幕府の檀家制度の強行によって民衆に普及しました。しかし、葬礼慣行のみが先行して、民衆の精神的渇望には答えることが薄弱であったとおもいます。この状態は今日でも続いていると思います。こうして、今こそ修験道がかつて果たした民衆との宗教的連帯を思いおこすべきです。祈祷活動に自信をもちもっと力を入れ、国民福祉の増進に仏教的法力を発揮したいものです。

江戸時代の三井寺長吏や本山先達たちは、地方の里に住む修験者にたいして山岳修行と教学の振興を訴えています。そのころ、里修験はさかんな祈祷活動を展開し、収入も少なくなく金持ちが多かったようです。しかし金もうけは駄目だ、修行に励んで真の修験力を得ようと厳しく戒めているのです。

修行と教学のいわゆる教観双美によって、はじめて祈祷の加持力は威力を発揮することができます。どちらかのみに偏ってしまうのは愚狂の道であるといましめられております。仏の教えをしっかりと体得し、つねに修行に励むことによって得られた修験力、加持力による祈祷が大切です。真正の祈祷仏教によって真の国民福祉を大いに増進させる、これが現今の本宗の課題であると考えます。

 

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